祝結婚30年!皇后雅子さま華麗なる独身時代からこれまでの生涯まとめ

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祝結婚30年!皇后雅子さま華麗なる独身時代からこれまでの生涯まとめ

2023年6月9日に結婚から30年を迎えられた天皇皇后両陛下。ロールスロイス社製オープンカーでのご成婚パレードからもう30年も経っていることに驚きです。天皇皇后両陛下はこの30年の間に、阪神淡路大震災や東日本大震災の他、新型コロナウイルス感染症など多くの困難と向き合い、常に国民に寄り添う姿勢を示してきました。また、雅子さまについては、民間人から皇室に入り、世継ぎ問題等、計り知れないプレッシャーを背負いながら公務に取り組んでいたことと思います。そこで今回は、雅子様 独身時代から現在までの生涯をまとめてみました!

皇后雅子様 独身時代

1963年12月9日生まれの雅子さまは現在59歳。外交官の父親・小和田恆さんと母親・優美子さんの長女として都内にある虎の門病院で誕生しました。出生時は一家で世田谷区桜上水の外務省官舎に居住。雅子さまには3歳下の双子の妹・礼子さん、節子さんがおり、3姉妹の長女として育ちました。

幼少期

幼少期は日本、ソビエト連邦、スイス、アメリカで過ごしている雅子さま。双子の妹はスイスで誕生し、母親と生後間もない妹をスイスに残し、父親と雅子さま、家政婦の3人でモスクワで生活を送った経験もあります。モスクワに転居後、すぐにロシア語も上達し、寝言もロシア語だったそうです。アメリカ滞在中は日本語を忘れないためにニューヨーク補習授業校(日本語学校)にも通っていました。

  • 1966年(2歳):父親が在ソ連日本大使館一等書記官に就任し、ソビエト連邦・モスクワに転居。
  • 1966年(2歳):モスクワ市立ジェツキサート1127保育園入園。
  • 1968年(4歳):父親が国際連合日本政府代表部一等書記官に就任し、米・ニューヨーク州に転居。
  • 1968年(4歳):米・ニューヨーク市立第81パブリックスクール付属キンダガーデン入園。
  • 1969年(5歳):米・ニューヨーク市立第81パブリックスクール入学。

学生時代

7歳で帰国した雅子さまは1年間編入学試験の勉強をし、田園調布雙葉小学校3年に編入します。同校では生物部に入り、卒業文集には「将来は獣医になりたい」と書いていたそうです。高校では自らソフトボール部を立ち上げ活動していました。ベルモント・ハイスクール在学中は、ソフトボール部と数学クラブに所属した他、米政府が米国全体の上位5%の生徒に贈るNational Honor Societyを受賞した経験もあります。大学は日本で就職するなら名の知れた大学が良いと考え、ハーバード大学に進学。1年生の時には日本文化クラブを自ら立ち上げ、ドイツ語やフランス語も習得する等、非常に活発な学生であったことが分かります。

  • 1971年(7歳):父親が外務大臣秘書官事務取扱に就任し、東京都に転居。
  • 1971年(7歳):東京都・目黒区立原町小学校1年に編入。
  • 1971年(7歳):東京都・新宿区立富久小学校2年に編入。
  • 1972年(8歳):田園調布雙葉小学校3年に編入。
  • 1975年(12歳):田園調布雙葉中学校入学。
  • 1978年(15歳):田園調布雙葉高等学校入学。
  • 1979年(15歳):父親が在米日本大使館公使に就任し、米・マサチューセッツ州へ転居。
  • 1979年(15歳)、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入。
  • 1985年(21歳):米・ハーバード大学経済学部(専攻は数理経済学)卒業。
  • 1986年(22歳):東京大学法学部第3類(政治コース)の3年に学士入学。

外務省職員時代

東京大学法学部第3類に在学中、駐スウェーデン特命全権大使・村角泰さんの娘が外交官になったことに影響を受け、1986年10月に外交官試験を受け見事合格。翌年に東京大学は中退し、外務省に入省しました。外務省の研修留学でオックスフォード大学に通っていましたが、その頃から皇太子妃候補と報道されるようになり、日本のマスコミが大学にまで押しかけてくるほどの騒ぎとなりました。外務省での職歴は留学期間を除くと4年となり、週に3日は帰宅が深夜0時を過ぎる等の激務をこなしていたそうです。激務により殺気立っている職員が多い中、雅子さまは常に笑顔で仕事に取り組んでいたといいます。

  • 1987年(23歳):外務省入省。経済局国際機関第二課に配属。
  • 1988年(24歳):外務省の研修留学でオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学。(国際関係論専攻)
  • 1990年(26歳):研修留学から帰国し、北米局北米二課に配属。

皇后雅子様 皇太子妃時代

当時、皇太子徳仁親王のご結婚相手選考は大きく3つのルートによって行われ、その中の「皇太子自身の交友範囲、個人的な交友関係・友人知人および親戚などの知り合いから好ましい女性を探す」というルートから雅子さまが浮上。1986年10月18日に来日したスペイン国王カルロス1世の長女、エレナ王女の歓迎レセプションで雅子さまと徳仁親王は知り合い、その後もパーティーで顔を合わせるなどして交流を重ねます。1992年に徳仁親王と雅子さまは5年ぶりに再会し、徳仁親王は雅子さまにプロポーズを続けます。しかし一度は「気持ちが決まらない」と小和田家サイドから断りの連絡がありましたが、その約2カ月後には皇太子徳仁親王からの求婚を受諾。お二人のご結婚が決まりました。

  • 1993年(29歳):皇室会議で皇太子徳仁親王の妃に内定。4月に納采の儀、6月に結婚の儀を経て、皇太子妃冊立。そして勲一等宝冠章を受章。
  • 2001年(37歳):敬宮愛子内親王を出産。
  • 2004年:適応障害と医師が診断。

皇后雅子様 皇后時代

雅子様 独身時代は海外育ちのキャリアウーマンで、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間で不和があり、皇太子妃時代には適応障害を発症した雅子さま。長期間の療養を経て、徐々に公務にも復帰し、2019年5月に皇太子徳仁親王が皇位を継承して第126代天皇に即位したことに伴い、雅子さまも立后しました。皇后になられて以降は、上皇后・美智子さまより引継ぎ、日本赤十字社名誉総裁に就任。また2020年4月にはコロナ禍の「子供の未来応援基金」に天皇家の私的財産から5000万を寄付、2021年の新年祝賀の儀ではコロナ禍での国民の状況を考え、ティアラの着用は控える等、国民に寄り添った言動を続けられています。

  • 2019年4月30日:天皇の退位等に関する皇室典範特例法が施行。
  • 2019年5月1日:皇太子徳仁親王による皇位継承と第126代天皇践祚に伴い、皇后冊立。

まとめ

今回は、今年でご成婚30周年を迎えられた雅子様 独身時代から現在に至るまでについてをまとめてみました。小和田邸 売却が噂されているコンクリ御殿から皇室に嫁がれた雅子さまは、バリバリ働くキャリアウーマン時代も皇后になられた今も国民の憧れの存在です。外務省から皇室に入るという異色のキャリアの持ち主でもある雅子さまは、伝統を意識しながらも新しい風を吹き込み、新しい皇室を築いていかれるのではないでしょうか。皇后としての雅子さまのご活躍を楽しみにしております!

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